今年は「微弱な快楽」と闘いたい

あけましておめでとう。
新年一発目はこんな記事である。

作業を始める前に、一旦SNSYouTubeの動画を開くと止まらなくなる

あの現象を表した名前がドンピシャすぎて怖いと話題に

 

人間何か面倒なことをする際に余計なことを考えてしまい、
その行動に手をつけるまでにとんでもない時間が掛かったりしがちです。

 

そうすると微弱な快楽を求めてSNSを無限に見続けたり、
5分程度の動画をYouTubeで無限に見たりしてあっという間に数時間消費していたりします。

 

これに一定時間触れていると「微弱な快楽を受けている状態がデフォルトだ」と
脳がセッティングされてしまうので、それを止めた瞬間微弱な快楽が途絶え不快感を覚える。

 

結果ニコチンが切れた喫煙者のように脳がマイナス(苦痛)方面に振れ、
再び微弱な快楽を求めてSNSを開いてしまうというループになるのだと思われます。これが地獄。

 

ベッドで横になるのも「微弱な快楽を受け続けている状態」ですね。
シンプルなゲームやエロ画像を漁り続けるのもそうです。
特にこれらを複数同時に行うと1日が完全に終わりかねません。

 

(一部省略)

https://togetter.com/li/1608787

今年も日記を書き始めるまでに3日が経過した。
おそらく、筆者の言う「微弱な快楽」の所為である。

 

微弱な快楽に溺れていないと、ストレスで気が触れてしまう。
だが微弱な快楽に溺れていると、恐ろしく作業効率が下がる。

 

まず立ち上がりが非常に遅い。時間をかけて微弱な快楽を探してから作業を開始、
作業中も微弱な快楽を浴びながら、集中力が切れたらまた別の快楽を時間をかけて探す地獄。

 

一つの快楽に飽きたら次々と別の快楽に移り続けることを世界線移動と呼ぼう。
「微弱な快楽」に伴う世界線移動は現代の病気である。

 

TwitterWebマンガYoutube、個人ブログ、Togetter、5ch、キュレーションサイト.....。

つまらないわけではないが、面白いとは絶妙に言い難い微弱な快楽が俺の時間を奪う。

 

それを知ってか知らずか、ネットに溢れるのはこうした絶妙なデブリである。
俺の人生に何一つ影響を及ぼさないものによって、やりたいことの隙間が無くなっていく。

 

昔聞いた壺の例え話がまさにこれである。
大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地はその後二度とない。
重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされるものになるだろう。

 

俺の一日は微弱な快楽と三大欲求の解消、仕事、買い物、風呂、排泄で99%が埋まっている。
本を読んだり、文章を書いたり、思索に費やす時間はほとんど残っていない。

 

この「微弱な快楽」に抗おうとするネットの言葉を聞くと、
別の微弱な快楽で対消滅させる、インターネットを遮断する、別の場所(喫茶店とか)で作業するなどの声があった。

ふーん。

 

何を隠そう俺はネット中毒である。ネットに溢れる情報から栄養を摂取して生きている。
アルコール中毒やニコチン中毒と何一つ変わらない依存症である。

 

日記を書き始めるのに3日かかった。ともするとエンジンがかかるのはずっとあとだろうし、
例年なら7月くらいで半年も何もしていない自分に気づき反省するのをまた繰り返すだろう。

 

いや、俺は今年こそネット中毒と向き合い、「微弱な快楽」に抵抗するすべを身につける。
俺にとって大事なことに時間を割き、大事でないものに相対する時間を減らす。
これは新年の抱負である。そして新年の抱負は大概うまくいくはずがない。