「何がしたいのか分からないまま人生が終わった」について

久々に日記でも書こうかな、とはてなブログを開くと、4年前に更新が途絶えたブログが残っていた。

ああ、と息が漏れる。すっかりその存在を忘れていたからである。

かつては常に頭の片隅にあって、いつでも記事を更新してやろうと息巻いていた。

それが今では容易には辿りつかない記憶の僻地へと追いやられてしまっている。

あれから4年が過ぎた。あれから何か変わっただろうか。

 

4年前の冬は京都にいて、年が明けた1月には地元へと戻ってしまっていた。

引っ越し日に両親が手伝いに来てくれて、本がぎっしり詰まった重い段ボールを親父と運んだ。

今思えばよく腰を痛めなかったものだと思う。もし俺が親父の歳だったら腰をいわしているだろう。

その日京都は大雪で、金閣寺に雪が積もったと聞いて、最後に両親と見に行った。

金閣寺に行ったのはこれで3回目。中学の修学旅行と、京都に住んだ1年目と、この最終日だった。

京都には色んな思い出がある。が、そのほとんどが一人で街を回った懐かしい思い出である。

 

実家への帰路で、祖父が風呂場で動けなくなったと祖母から電話が入った。

そのときはあまり重く考えていなかった。歳だし、まあそういうこともあるだろう、ぐらいに。

実家に戻ると、座敷に横たわり、ぐったり動けなくなった祖父が居た。

親父が救急車を呼び、駆けつけた救急隊員と名前やら日付やらの意識確認を祖父と交わすと、

速やかに……いや、どこの病院に行くか揉めてたな。

結局祖父の行きつけ病院の希望は叶わず、日赤へと運ばれていった。

俺は「大丈夫かい」ぐらいにしかかける言葉が見つからず、まあこれが最後にまともに交わした会話となった。

あの日に俺が引っ越しをせず、実家にいた親父がすぐに助けることができたら……と思うこともある。

俺も、親父も、わずかばかり悔やんでいるかもしれない。でも、それは仕方のないことだとも納得している。

入院した祖父は日に日にぼけていった。それに比例して歳のわりに逞しかった身体はみるみる痩せこけていった。

ついに実家に帰ることはなく、秋頃だっただろうか、91歳でその生涯を閉じた。

 

それまでにもいくつかのことがあった。春には中学校からの友人の結婚式に出て、久々に集った友人と旧交を温めた。

俺は大学時代に一度人間関係リセット症を発症し、家族以外のすべての連絡先を消去していた。

その結婚した友人も、俺の実家にわざわざ結婚報告の電話をかけてくれて、そこからまた関係を再開した。

4年後の今でもWebラジオと称して月に一度喋っている。一向に伸びないYoutubeも今日まで続けている。

その友人関係が回復しなかったら、俺は今も独りで過ごしていたことだろう。

 

同時期に実家から2時間ほど離れた町で仕事を開始した。

面接を受けにいったその日に採用され、それから1週間くらいで職場に通うようになった。

通勤が大変だと漏らすと、社宅としてアパートを借りてくれて、今もそこに住んでいる。

電気ガス水道も会社負担なので、賃金は少ないが食うに困らない生活を享受している。

あれから4年ほど仕事を続けている。あれから4人入って、6人辞めるのを眺めている。

人間関係に悩んだ時期もあったが、なんとか今日まで辞めずに働いてこれた。

しかしポジティブな意味で、そろそろ退職しようかな、とも片隅で思っている。

 

そういえば、車も買った。田舎では必須だという両親に説得され、中古のカローラを買った。

半信半疑だったし、運転は怖いからあまり乗らないだろうと鷹を括っていたが、これはいい意味で裏切られた。

東北一周を走り、四国一周を走り、東海を走り、地方都市や隣県に気兼ねなくドライブに行くことができる。

一人で過ごすことが苦じゃない人は、大金をはたいてまで買う価値がある。

しかしさすがにボロボロになってきたし、維持費も高いから次の車検前に手放そうか、とも考えている。

 

あとは何だろう。姉や友人たちに子供が産まれたり、そうでなければゲーム機やスマホやパソコンを買ったり、 コロナ蔓延で会社が一時休業したり、俺自身もコロナにかかってホテル療養したり、 友人たちとスノボ旅行行ったり、キャンプに行ったり、コミケ行ったり、友人の演劇を見に行ったりした。惜しむべくは海外旅行と女性関係くらいか、特に行動しなかったから当然の帰結だけれど。

 

そうして4年が過ぎた。人間関係と生活環境は4年前の京都と様変わりしている。だが内面の変化は小さい、と思う。

中心核は変わらず、外皮だけが分厚くなっていった。これは喝采するべきことだろうか。

しかしそれでも、京都を去り、天地で仕事を始め、祖父が死に、新天地で仕事を始め、友人が結婚し、車を買ったことは、

明確に俺の子供時代と訣別する転機となったことは間違いない。

後から思い返せば、あのとき俺は大人になったのだ。

 

4年前はカミュブッダとサピエンス全史が俺の経典だった。この3つさえ押さえておけば、人生に迷うことはないと思っていた。

実際、大きな人生の悩みに自ら衝突することはしなくなった。

経典の内容はすでにおぼろげである。それでも迷ったときはいつでも戻ればいいと思っている。

だから今もカミュブッダとサピエンス全史が、付け加えるなら内田樹岡田斗司夫村上春樹が、

物事に複眼的にあたる俺の師匠であることは4年前と何一つ変わっていない。日常の退屈は漫画とYoutubeが何とかしてくれる。

 

再開する日記には、Webで読んだものに対して勝手に思うことを打鍵していこうと思う。

いつ日記をやめてもいいし、いつ再開してもいい。そういうゆるいルールでやっていきたい。

 

今回はこんな匿名日記である。

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

 

小さい頃から逃げてばかりいた。
幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。
このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断で進学校を目指すことになった。
中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。
どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部を適当に受けた。
一浪して隣県の国立に入り、与えられた金額の範囲でいかに生活するかばかり考えていた。
講義はどれも興味深かったし、パソコンとインターネットにも初めて触れた。
けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。
論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。
自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。

 

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。
教授に与えられたテーマそのままにつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。
やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。
取りあえずどこでも良いので、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。
取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。
肉体労働は苦痛だったが何年かすると慣れた。
周囲に人はいるが朝の挨拶とトラブルの報告以外で話すことは無い。ただただ箱を運び続けている。
日々の暮らしそのものには不満は無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。

 

このあいだ四十歳になった。
独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。
苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間。
今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。
そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。
すでに自分の人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。
自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。
空っぽのまま生まれて空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

 

(一部省略)

https://anond.hatelabo.jp/20190119193055

産まれて、生きて、やりたいことが分からないまま、死んでいく。

やなせたかしの詩のような悩みに、書き手は一抹の寂しさを感じている。

共感や嘔吐が目的なら「わかる」で終いだが、こちらは典型的アドバイスおじさんなので処方箋を記す。

 

やりたいことがない、分からないという人にこれまで数々会ってきた。

でも、しばらく会わないでいると、いつの間にか彼らは何かやるべきことに忙殺されている。

その多くは仕事と育児であり、彼らは日常が忙しいので大きな悩みにぶつかる回数が減っている。

ここでいう大きな悩みというのは、「なぜ生きているのか」という実存の問いである。

こうした悩みは常に心のどこかに潜んでいて、精神的暇になるとそれが顕在化する。

定年を迎えたサラリーマンや、育児を終えた主婦が迎えるのもこの実存クライシスである。

 

一つの現実的な一般解は、上記のように日常を賑々しくさせて、悩みを先送りにするということである。

何人かと話してみるとすぐに分かるが、「やりたいこと」が明確にありそれに邁進している人など稀である。

ドラマは「やりたいこと」がない人が、「やりたいこと」「やるべきこと」に出会うところから始まる。

だから「物語の導入」とか「プロローグ」などとブックマークコメントがつけられていたわけだが、

ドラマを見て、それは私に欠けているものだと落ち込むことはあまりしなくても良い。

 

好きでもない仕事だが、生活のためにどうせやるなら、と懸命に勉強する友人や、

こんなに大変だと思っていなかった、と懸命に育児をする家庭を見る他方で、

アニメやゲームや車やアウトドアやアイドルの追っかけにいそしむといった、趣味で日常を騒がしくする人もいる。

また下世話なジャーナリズムに浸っていれば、石を投げる相手を日ごとに選んでくれるので、深く内省する暇もない。

あるいは創作活動に精を出す方法もある。

文章やイラストや動画や手工芸やプログラミングなど自分に酔った手法で何かを生み出すことができる。

仕事・家事育児・消費的趣味・生産的趣味・健康の維持、この辺りで人は賑々しさを獲得することができる。

ここまでが一般解である。

 

ところが、書き手は結局上記のような一般解を得られなかったからこそ、いま空虚に陥っているという話だった。

熱中できる仕事や、パートナーや、子育てや、消費や、生産的活動が見つかっていれば、他人と同程度に落ち込むことができる。

筆者の望みを直に受け取るなら、こうした一般解を得るよう能動的に動こう、などの掃いて捨てるアドバイスは響かない。

おすすめは「宗教」である。

 

おいおい玄関あけたら宗教勧誘かよそりゃないぜ、とお思いかもしれないが、宗教は実存的悩みにけっこう効く。

なぜなら金持ち貴族のシッダールタ君が、物質的に満たされてるのに精神的に満たされないという悩みを抱えて出家して悟りを開いたのが仏教だからである。

こうしたどこか満たされない心の隙間を埋めるのが本来宗教の役割である。

いろんな意見や考えがあるのは分かるが、何が正しいかは分からないし、

それでいて私はどこにも馴染めず孤立している、という人に宗教は効く。

善だと教祖やみんなが信じているものを私も一緒になって集団で信じるのは人間的に愉快な行為だからである。

流行りのカルト宗教だって、おそらく教義はふつうなことを言っていて、それを一生懸命崩されないように過激に信じ込むのである。

 

献金やら壺やら仏壇やら、本人と家族が身を崩すほど金を貢ぐのは、どう考えても客観的に良くない。

良くないが、周りの皆さんも買ってるし、さもなければ宗教に反するし、

コミュニティから村八分にされるし、という主観がそうさせるのだろう。

しかし逆に、このようなカルトのイメージで自分の宗教観を囲ってしまうと、

いざ目の前に現れたイメージと違う宗教にまんまと嵌ってしまう。

あるいは必要以上に遠ざけることで、よく分からないが悪であるという結論だけを他人に喧伝する人になってしまう。

 

そこで結論だが、宗教について学ぶのだ。学んで、これは信じられると思ってから身を崩さない程度に入信するのである。

学ぶなら500年も経ってない宗教では浅い。少なくとも鎌倉仏教、西欧ならプロテスタント、やはりおすすめは五大宗教である。

ヒンドゥー教なんかはスケールが大きくて読み物としても面白い。

仏教なら空っぽな自分を肯定してくれて、さらにもっと空っぽになりましょうと説いてくるから精神の健康にもいいだろう。

おそらく筆者が渇望しているのは、「自分の人生はこれでいい」と肯定してくれる存在だろう。それが神か仏か近くの誰かである。

宗教を知らずに人生を終えるのは勿体なさ過ぎる。自分を肯定して眠りにつくために、神や仏を学ぶのである。